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自分に合った生き方ってなんだ・・・。
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ちょっと、誤解される内容だし愚痴みたいなもんだけど。

間が空いてしまったので、当時の気持ちは、覚えてないし、
書かれた本人もそういった意味で書かれたのではないと思うのだけれど、
今一度、読んでやっぱり気にくわんかったし、考えが変わらなかったので書いてみる。


ある方の日記コメントを読んでどうにも納得がいかなかった。
その方は、日本以外に居住を移されたのだけど、
そこでは、「家族が仲良く健康に暮せるのが『幸せ』」なのだそうだ。

ほかのコメントも見ていると、どうやら「幸せ」は「相対」的に比べて出される数字らしい。
他人を見て、自分が他人よりどれだけ、「幸せ」かを比べて、今の自分が「幸せ」かどうか判断する。
つまりは、他人がどれだけ「不幸」かどうかを評価する。
察するに、コメントを書いている方々の頭の中は少なくとも「幸せ」なんだなと思う。

私は、この恵まれた国の恵まれた環境に生まれたのは「幸運」だと思う。
それに関しては、両親と祖父母、先祖に感謝してる。
恵まれない所(日本と比べて)で生まれてる人もたくさんいるけど、それを「不幸」かどうかは決めるのは
あなたでも、ましてや私でもない。

「ここでは、幸せは夢見るものではないのです」

日本では、できることは一杯ある。でも、その国ではできないから「不幸」?
彼らが「不幸」なのではない。できなくなった「あなた」が「不幸」を感じてるだけでは?

「幸せ」は、立ち位置で幾らでも変わるものだし、比べる対象は「他人」ではなく
「自分」がどう感じるかで決まる「絶対評価」。
他人から押しつけられた「幸せ」は、自分にとって「幸せ」とは限らない。

では、万人にとって共通で「幸せ」と言える事はなんだろう。
先にも書いたけれど「生きて」いることだと思う。
生きて行けなければ、腹が立つことも、悲しいことも、憂鬱なことも、もちろん、楽しいことも
感じられないし考えられない。生きているからこそ、なんでもできるし、なんでも愉しくできる。
感情を感じられること、それが「幸せ」なのだと思う。

恐らく、その絶対的な「幸せ」も感じられない人も世の中には一杯いると思う。
でも、それを自分と比べてすぐさま「不幸ね」と言える人の思慮の浅さに、怒りを覚えた。
(余計なお世話やろうし、関係ないんやけどね)

俺は「生きて」行けることが、当たり前すぎてと感じる事鈍くなってきてると思う。
話題の人もそうだけど、こういった感情を感じにくくなっているのは、果たして「幸せ」なのだろうか?

もっと感覚を研いて、愉しく生きたい。
とりあえず、コメントの方々には「幸せ」と言うのをご教授してもらいたいな。

まぁ、向こうからしたらほっとっけや。関係ないやろ。という感じでしょうが。
まさしくその通り。お粗末。

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